自立ってどういうこと?~ひとりの時間を楽しむ~

誰かと一緒じゃないと不安。
ひとりで過ごす時間が、なんとなく寂しい。
そんな気持ちを抱えていた私が、「ひとりの時間を楽しめるようになった」とき、はじめて気づいたことがありました。
地元を離れ知らない街で
私はある時、地元を離れ、彼の住む地域に引っ越しました。
最初は彼さえいれば大丈夫と思っていたけれど、現実はちょっと違いました。
職場で出会った人たちと少しずつ関係は築けても、やっぱり地元の友人のようにはいかない。
気づけば「ひとりの時間」は、家事や仕事、そして“彼のことを考える”時間ばかり。
ホームシックにはならなかったけれど、今になって思えば、心のどこかで寂しさを感じていたんだと思います。
彼に満たしてほしかった“心の穴”
当時の私は、その寂しさを彼に埋めてほしいと思っていたんですよね。
「もっと私の気持ちをわかってよ」
「こっちに引っ越してきたんだから、大事にしてよ」
そんな気持ちを、言葉にせず心の中でずっと抱えていて。
そして、勝手に彼を責めていた。
――でも、それって本当に彼のせいだったのかな?
気づきをくれた「ひとり時間」の視点
ある日ふと、こんな言葉が目にとまりました。
『ひとりの時間を楽しむ』
その瞬間、胸にグサッと刺さったんです。
あれ? 私、ちゃんと“ひとり”になれてたかな?
思い返してみれば、彼の存在に甘えすぎていたかもしれないし、「ひとり」になるのが怖かったのかもしれない。
音信不通の理由がわかった
彼との関係のなかで、音信不通の時期がありました。
当時の私は、なぜ彼が距離を取ったのか、さっぱりわかりませんでした。
でも、「ひとりの時間を楽しむ」という言葉に出会ってから、頭の中に走馬灯のようにいろんな記憶と感情がよみがえったんです。
あぁ…これだったのかって。
彼の言葉の本当の意味
思い出したのは、以前彼が言っていた一言。
「ひとりでできるようにならないとね」
当時は「私はもう十分やってるし!」と反発したくなったけれど、今ならわかります。
それは“タスク”の話じゃなくて、“心の在り方”の話だったんだなと。
自立って「なんでも自分でやること」じゃなかった
私、勘違いしてたんですよね。
自立って、「強くて完璧なひとり」になることだと思ってたんです。
でも違いました。
ひとりの時間を、心地よく過ごせること。
孤独を、自分とつながる時間として楽しめること。
それが「自立」だったんです。
孤独=私に意識を向けるチャンス
孤独って、何もない無機質な空間じゃないんです。 むしろそれは、自分の本音や感覚を静かに聞ける純度の高い内側の時間。
人とつながる前に、自分とつながる。
誰かと向き合う前に、自分の気持ちをキャッチできる自分でいる。
孤独は、それを可能にしてくれる“贅沢な時間”なのかもしれません。
エフィカシーと自立の関係
自立している人は、自分の価値を自分で認めている。 それってまさに、エフィカシー(自己効力感)が高い状態なんですよね。
ひとりの時間を「不安な空白」ではなく、「創造の源」にできる人は、 何かに頼らなくても自分で進めるという信頼を持っている。
エフィカシーの高い人は、リクエストもシンプルに伝えられる。 それは“依存”ではなく“信頼”だからです。
“私を楽しむ”ことで彼とも自然な関係になれる
ひとりの時間を楽しめるようになると、 気づけば彼の顔色をうかがうことも減っていました。
無理に求めなくても、心が満たされている。
そうなると、不思議と彼との関係にも余白が生まれるんですよね。
「構ってほしい」じゃなくて、「今、こうしたいんだ」っていうピュアな気持ちで関われる。
“ひとりでも楽しい私”が、“ふたりでも心地いい関係”を育ててくれるのです。
自立は孤独の先にある私との信頼関係
自立って、結局「自分との関係」なんですよね。
私が私を信じているか。
私が私を大切にできているか。
ひとりの時間は、そこを育てる一番シンプルな方法なのかもしれません。
そしてそこから自然に、誰かと対等に、豊かに、関係を育てられるようになる。
それは、“依存”でも“突き放し”でもなく、本当の意味での“繋がり”なんじゃないかなと思うのです。
だから、ひとりでいる時間があるって、ほんとうはすごく豊かで、ありがたいこと。
自分に意識を向けられる、人生の“贈り物”なのかもしれません。